「勉強できる子」が理解力と記憶力が良いのは「知識のネットワーク」が準備されているから
「勉強できる子」は一度説明しただけで理解し、覚えてしまう。一方で、「勉強の苦手な子」は覚えることも理解することもできない、このことで「頭が悪い」と決めつけることは違うという意見が反響を呼んでいます。
「勉強できる子」は一度説明しただけで理解し、覚えてしまう。「勉強の苦手な子」は一度説明しただけでは理解できず、覚えることもできない。なんなら同じ説明を何度もしても理解できない。この現象をもって「頭が悪い」と決めつけてしまう「勉強のできる人」は多い。しかし私は見解が異なる。
— shinshinohara (@ShinShinohara) October 11, 2021
観察してると「勉強のできる子」は、その言葉を聞く前にすでに知識のネットワークが準備されている。電流の話を聞く前に、モーターや電球の仕組みだとかに興味を持ち、すでにある体験ネットワーク、知識ネットワークの結節点の一つにその名称をあてはめるだけ。だからすんなり覚えてしまう。
— shinshinohara (@ShinShinohara) October 11, 2021
ところが「勉強の苦手な子」は、体験ネットワークがすっぽり抜けてしまっていることが多い。花をマジマジ見たことがないし、電気のオモチャを分解したりしたことがない。見たことも聞いたこともないことを突然聞かされても面食らうだけだし、何度説明されても体験と結びつかず、理解できない。
— shinshinohara (@ShinShinohara) October 11, 2021
私は、知識とは、知の織物「知織」だと考えている。他の知識と断絶した知識はない。たとえば「鉄」を理解するには、真夏の太陽に照らされた鉄は火傷するほど熱いといった体験や、逆に冬には凍てつくほど冷たかったり、電気が通ったり、フライパンを熱して湯気が出たり、磁石がくっついたり。
— shinshinohara (@ShinShinohara) October 11, 2021
濡れるとサビたり。包丁のような刃物になったり。そういった諸々の周辺的事実の結節点として、私たちは「鉄」を初めて理解する。知識とは知のネットワークを形成することであり、ことばを覚えるとは結節点に名前をつけることであり、理解するとは、その結節点が何とつながってるかを知ること。
— shinshinohara (@ShinShinohara) October 11, 2021
「勉強の苦手な子」が、説明を一度されただけでは理解できなかったり、場合によっては何度説明されても理解できないのは、その言葉を受けとめるべき体験ネットワーク、知識ネットワークが欠如してるから。何も受け手のないところに投げても落ちるだけ。大切なのは、受けるネットワークの構築。
— shinshinohara (@ShinShinohara) October 11, 2021
別の旧帝大の学生は、サイホンの原理を知らなかった。「お風呂の水をホースです吸った後、外に流す遊びやったことない?」と聞くと、ないという。これでは理解できないと思い、細いチューブと水を入れたビーカーを用意して、遊ばせた。水がいったん水面より高く上がることに驚いていた。
— shinshinohara (@ShinShinohara) October 11, 2021
つまり、頭の良し悪しではない。新たな知識を受けとめるべき体験ネットワークが欠如してると、受けとめようがない。素通りしてしまう。勉強できる子も勉強の苦手な子も、新知識を受けとめられる体験ネットワークが欠如していれば、さっぱり理解できない。何度聞いても首を傾げることになる。
— shinshinohara (@ShinShinohara) October 11, 2021
だから、大切なことは教えるよりも体験させること。不思議な思いに浸ること。不思議に思えば興味関心が湧き、観察し、その仕組みを知ろうとする。体験し尽くし、体験ネットワークができあがった時にそれぞれの結節点の名前を聞くと、一度で覚えてしまう。「ああ、あれはそんな名前だったのか!」
— shinshinohara (@ShinShinohara) October 11, 2021
和歌山県すさみの海で、海水浴を終え、帰ろうとする親子が。「ここ、星がきれいですよ。予定がないなら星をご覧になってからでどうですか?」と誘った。
夜になり、空を眺めた。若いお父さんが「残念、曇ってますねえ」。
「何言ってるんですか、これ、全部星ですよ。カスミの一つ一つが星」— shinshinohara (@ShinShinohara) October 11, 2021
信じられない様子なので、海岸線に浮かぶ雲と比べて、「星の雲」が動くかどうか比べてもらった。「本当だ!これ、みんな星なんだ!」ご両親、驚きのあまり言葉を失って星空を見つめ続けた。五歳くらいの男の子も、どうやら大変なものを目撃してるらしいと、マジマジ空を眺めた。
— shinshinohara (@ShinShinohara) October 11, 2021
「あそこ、一つだけゆっくりと動いてる星があるでしょう。あれ、人工衛星」
「え!人工衛星って見えるんですか?」
「あそこは地球からずいぶん離れてるから、まだ太陽に照らされて反射してるんですかねえ」
「へええ!」親が驚いてるもんだから、子どもも興奮しながら眺めてる。— shinshinohara (@ShinShinohara) October 11, 2021
「星ってむちゃくちゃ遠いから、何年、何十年もかけて光が届いてるんですってね。今見てる光は、何百年も前のものだったり、もしかしたら見えてる星の中には、今はもう爆発してないものがあるかも」
「見えてるのにもうないなんてことあるんですか!へええ!」
ますます大変なもの見てる感じの子ども。— shinshinohara (@ShinShinohara) October 11, 2021
その親子は私たちが寝ることにしても星空を眺め続けた。翌朝私たちが帰ろうとすると、その親子は「もう一泊して星を眺めようと思います」と言った。
私の下らない星の解説より、このお父さんお母さんは、子どもに大切なものを伝えていたように思う。自然の不思議さ、神秘さに目を瞠り、驚く感性。— shinshinohara (@ShinShinohara) October 11, 2021
何時間も飽かず星を眺めた体験は、知らず知らずのうちに体験ネットワークを形成することになる。以後、星や宇宙のことを取り上げた番組や記事にはすぐ子どもは食いつくようになるだろう。こうして体験ネットワークはさらに強化され、知識ネットワークへと延伸していく。拡大していく。
— shinshinohara (@ShinShinohara) October 11, 2021
大切なのは、知識の量ではない。興味関心の強さ。興味関心が湧けば、無意識は自然に体験ネットワークを形成してくれる。そのネットワークさえできてしまえば、「なんだ、あの体験はこんな風に呼ばれてるのか」と、名前を結節点にあてはめていくだけ。大切なのは、知識を受けとめる体験ネットワーク。
— shinshinohara (@ShinShinohara) October 11, 2021
体験ネットワークの形成を促すのが、「驚く」こと。親である大人自身が驚き、不思議がり、興味関心を持てば、子どもも、ナンダナンダ?と興味津々となる。
自然や生命の神秘さ、不思議さに目を瞠り、驚く感性。センス・オブ・ワンダーこそが大切。— shinshinohara (@ShinShinohara) October 11, 2021
私が子どもたちの失敗に驚き、楽しむのもそのため。失敗は想定していたことと違うことが起きた現象。ということは、事前に察知できなかった何かがある。それに驚き、面白がれば、子どもも自然と不思議がり、面白がる。すると失敗からメカニズムを推定し、新たな手を考え出す。
— shinshinohara (@ShinShinohara) October 11, 2021
失敗をしゃぶり尽くすように観察することは、体験ネットワークを形成する一つの方法。危険がないなら、わざと失敗させるのは手。その周辺の知識を受けとめられる体験ネットワークを形成するのに、失敗は素晴らしい体験。
— shinshinohara (@ShinShinohara) October 11, 2021
ネットの反応
横入りな上私見で申し訳ないのですが、大人相手なら興味関心を引くより必要性や重要性を説いた方がいいと思います。
PCの苦手な上司と仰っていますが、理解を放棄していると言うなら苦手以前の部分に問題がある可能性があります。
自分にパソコンは使えない、等の先入観かもしれません— 長月 (@spica8163) October 11, 2021
僕がそうだったんですけど数字や数式、記号が極端に苦手な人もいたりするんですよね
国語や生物はとても得意なのに数学や物理になると結果を出せない、これがまた興味・関心からくるだけでは言い表しきれない点だと思います
まあ全部だめなら、単純に自習のやり方自体がわからないのかもしれませんが— SIN罰/完全テキセ民@健全垢 (@SINTRPG1) October 11, 2021
学習塾の先生に言われたことがあります。
中学受験は低学年から始まっている。入試で4教科ある学校に入れたいなら、理科社会のうちどちらか1つは勉強ではなく趣味にできると強い。そのためには低学年から博物館や科学館、美術館のようなところに連れて行く努力を。
年に2回でも違う、と。— Naomi Narita (@naochin2) October 11, 2021
この先生の話には続きがあり
たとえ年2回でも10年続ければ20回になる。レプリカでも実物大のものを見るか、ただ教科書で見るだけかで記憶の残り方が違う。
小学生のうちは博物館等に行くか行かないかは親の意思。
休日の外出でショッピングもいいが、たまには博物館や美術館に行ってみて。— Naomi Narita (@naochin2) October 11, 2021
御歳70になる両親のことを思い出し、泣きそう。
いろいろなことを体験させてくれた。おかげで興味や関心を持ったことを追究することは全く苦にならないし、楽しくて仕方ない。あぁ、こういうことなんだ…と。— さかなやリーマン (@sakanaya_ryman) October 11, 2021
学校で習った内容が全く分からなかったのに数年後に趣味でたまたまその範囲を使う必要が出てきて「どうせ理解できないだろうな」と諦めながら見ていたらほとんど理解できて驚いた事があったので体験ネットワークは理解するのに重要ってことがよくわかります。
— 刻苦漏血 ❤️ (@htknkdm) October 11, 2021
高校で情報を教えている者ですが、漠然と感じていることを明確に言語化してもらえてるな、と思いました。加えると、苦手な子はある項目を完全に理解しないと先にすすんではいけない、という変に真面目な固定観念があり、できる子はわりといい加減だったりします。
— (@Masa_nus) October 11, 2021
「知の織物」は素敵な言葉ですね。イメージもしやすい。頭のいい人は、体験に焦点を当てるのがとても上手です。誰でも体験する救急車の音を聞いてもドップラー効果を考えるように、体験を切り取るのがうまい。それは才能だと思っていたのですが、体験の積み重ねで変わるものでしょうか。
— ぐれぴよ (@gurepiyo) October 11, 2021
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