【胆力練磨】明治時代の教育が厳しすぎるwww【肝試しの起源?】
胆力練磨という児童の胆力を練磨するため,妖怪談を催したのち、標本の 頭骨を安養寺墓地まで持ち行かせ、迷信を打破し、卑怯心を除くための教育が厳しすぎると話題になっています。
明治時代の教育は厳しい。 pic.twitter.com/xyjQq0I23Q
— Motoi Katsumata (@motoi_katsumata) May 3, 2021
ちなみに当時「卑怯」には「臆病」という意味もあったようです。
— Motoi Katsumata (@motoi_katsumata) May 3, 2021
ネットの反応
昔読んだ本に江戸時代の武士の子供は処刑される所を見せられた日の夕食に血を連想させる赤飯(だったと思う。) 食べさせられたり、肝試しがさらし首を見に行って小刀で首に見に行った証を彫るってのがあったとか。
— 牧山スケルトン (@kourin831) May 3, 2021
今は「迷信を打破し」のような、その教育の要点が抜け落ちて伝わってるものが多いですね。
— 悠 (@COLNAGO1231) May 4, 2021
私昭和末期生まれですけども、なんで当時小学生に肝試しをやらせたのかが理解できるような気がしてきました。
— ワタリ/官能二次創作やっている人 (@yLv21EYhXm5WkJm) May 4, 2021
「肝試し」の起源だったりして😅。
昔、小学校の林間学校の肝試しで、お寺の広い墓地を一人で行った時(女子は二人一組、男子は一人だった)、影から何か飛び出して来たので、思いっきりモンゴリアン・チョップを喰らわせたら(外れたけど)、先生だった。🤣— 谷梅之助 (@umenosuke_tani) May 4, 2021
現代に至るまで迷信が残ってる辺り、打破出来てなくて笑う。
— 新鮮な化石 (@VLcxeGqJFcZORTQ) May 4, 2021
やだー😓
なんか、小泉八雲の怪談にそんな肝試しの話があったな〜
『幽霊滝の伝説』
夜、幽霊滝と呼ばれてる所まで行ってその証拠に賽銭箱を持って帰ること…
その結末はちょっとまあ…恐ろしい— 奈良漬 (@narazukeLU6U) May 4, 2021