みんなで集まって、遺体の始末をして、食を共にして供養すればそれはもうお葬式
「葬式なんか要らない、火葬だけで十分、そのお金で美味しいものを皆で食べてほしい」っていうのは、それ普通にお葬式だという主張が反響を呼んでいます。
「葬式なんか要らない、火葬だけで十分、そのお金で美味しいものを皆で食べてほしい」っていうのは、それ普通にお葬式なんです。みんなで集まって、遺体の始末をして、食を共にして供養する。それはもう葬式です。
— 佐藤信顕@葬儀葬式ch 日本一の葬祭系Youtuberです (@satonobuaki) November 23, 2021
宗教者が伴わないと葬式じゃないっていう人もいますけど、それは世界に無宗教って層がいる限り、宗教がなくても葬式になります。告別式ってのも宗教を伴うか伴わないにかかわらず式典として行うわけで、一定の形式があるのは式と呼びます。
— 佐藤信顕@葬儀葬式ch 日本一の葬祭系Youtuberです (@satonobuaki) November 23, 2021
これは宗教は要らないとかって問題じゃなくて、宗教と共に生きていない、家族の死に際しても宗教といい出会いが結べない人もいるわけです。なのでみんなで集まって形式を伴い一緒にやるのは「葬式」になります。
— 佐藤信顕@葬儀葬式ch 日本一の葬祭系Youtuberです (@satonobuaki) November 23, 2021
実際、直葬にすれば楽ってのは何もしないから楽だろうっていうだけで、何もしないのは生きてる側は何もしなかった人になるし、送られた側は何もされなかったになるし、妥当な理由がないと結構迷うし苦しむことになることも多々あります。
— 佐藤信顕@葬儀葬式ch 日本一の葬祭系Youtuberです (@satonobuaki) November 23, 2021
皆が集まって、お別れの時間を取るには場所もあった方がいいし、それなりのしつらえがあった方がイイってことで、祭壇やら式場ってのは存在しています。場所があると慣れた管理運行責任者がいた方がいいので、それが葬儀屋です。
— 佐藤信顕@葬儀葬式ch 日本一の葬祭系Youtuberです (@satonobuaki) November 23, 2021
葬式に金かけるなんてってのは、まず各家庭に余剰金がないことと、一定の新興宗教さんの既存宗教ディスりの一環ですから。そんなに気にしなくていいと思います。ほとんどの人は葬式やってます、そしてすべての人は遺体をちゃんと葬っています。
— 佐藤信顕@葬儀葬式ch 日本一の葬祭系Youtuberです (@satonobuaki) November 23, 2021
葬式は要らないって人は、現在の葬儀の形が要らないだけなんです。火葬して、行きつけの飲み屋貸切ってお別れ会ですって遺骨置いて花供えるだけでも立派に無宗教のお別れ会って葬式です。ただし、25年前にも提案してますけど、流行らないんです。そうなんです、流行らないってだけです。
— 佐藤信顕@葬儀葬式ch 日本一の葬祭系Youtuberです (@satonobuaki) November 23, 2021
結局みんなお経も呼んでほしいし、おじいちゃんおばあちゃんと同じようにしてほしいし、めんどくさくない様に場所もそろってて、段取りも組まれてる今の葬儀を選択しています。単純な話、新しいことってわりと面倒なんです。決まってることって心がラク。
— 佐藤信顕@葬儀葬式ch 日本一の葬祭系Youtuberです (@satonobuaki) November 23, 2021
ネットの反応
『家族葬で』って御家族がいるんですけど、「新聞のお悔やみ欄不掲載でいいですか?」と確認すると載せたいと言い結局普通のお葬式に。
載せなくても後から知った人達が後日弔問に来ます。しかもバラバラの日に…。
(式を済ませたと後日掲載する方もいますが、やはり弔客は来ます)— しっとりチャーハン (@moist_friderice) November 23, 2021
宗教観を伴わなければそもそも供養できないんじゃないかな?供養ってそもそも本来は仏語だしね。
葬式をあげずに美味しい物食べてるのはそれはただの会食。死者の生前を思い出しながら盛り上がるのはなにも悪いことではないが、それは葬式ではないし、本来の供養ではない。— 大田市の終電bot(手動) (@Ohdashisek) November 24, 2021
家族葬でと思う人もいるけど、経験から言わせてもらうとその後がなぁ…。
故人のことを知った知り合いが弔問に来るわ来るわ。それなりの規模の式にして坊さん呼んで人を集めてしたほうが一度で済んだような…と思わなくもない。式って集客そして告知の意味合いが大きいと改めて思った。— 紙髪上 (@cSyuP5S3Rwvimgp) November 23, 2021
亡くなった人の気持ちも大事だけど、残った人が後悔なく見送ることが重要。
本人は簡素に、と思ってても家族はそれでは心残りがあるかもしれない。
親の介護にしても葬儀にしても…— ボーダン (@bohdanmeroh) November 23, 2021
爺様の時に葬儀屋さんに言われるまで見落としてたのは、葬式って、「弔問客の集約機能」を担っている点ですね。
家族葬とかだと、ご近所・ご友人が情報を聞いてはチラホラ弔問に来て、只でさえ色んな手続きがあるのに、時間の浪費が激しいですよと言われて、ハッとしました。
— ネワノ (@One_of_Engineer) November 23, 2021
葬儀ってのは亡くなった人のためにやる訳じゃなくて残された人達の気持ちの整理をつけるためのものですしね。
本当に葬儀が要らなきゃ天涯孤独にどこかその辺の山の中で人知れずに野垂れ死に遺体も見つからないようにしなきゃいけないのでかえって難しい…。— 犯人のヤス (@mfWQUPdAtvdsw53) November 24, 2021
(死者を悼む心があれば、形式は問いませんということですよね)
— メジロラーゲリ🥦 (@lager_auc) November 23, 2021
私はほんとに何もしなくて良い。「美味しいもの食べて」も、ほんのにかってにフレンチとかすしとか、個人個人好きな時に、好きな場所で食べてもらったらいいや。
— 田中 愛 (@zUCOj2UN5nzieJc) November 23, 2021
親戚が集まって「久しぶり」と行って顔合わせて昔を懐かしんで、あーだった、こうだったって語り合うのが故人に対する供養だと思う。
— りる・ヴぃすたりあ (@LiruWistaria) November 24, 2021