1945年5月26日,子犬を抱く特攻隊員の写真をカラーで再現
命を掛けて戦った特攻隊員の方がをカラーで再現した写真に多くの反響が寄せられています。
76年前の今日。1945年5月26日,子犬を抱く特攻隊員。中央が荒木幸雄伍長。鹿児島の万世飛行場にて,出撃予定時刻の2時間前に撮影。悪天候のため翌日出撃,戦死した。ニューラルネットワークによる自動色付け+手動補正。 pic.twitter.com/W9KAZ8PfGo
— 渡邉英徳 (@hwtnv) May 25, 2021
●元の白黒写真
ネットの反応
この写真の子たちは全て10代だったそうですね。
数時間後には死ぬのに、目の前の小さな命への眼差しが温かくて、何度見ても当時の彼らにかける言葉など見つからないのです。— おかさん (@yamabitocom) May 25, 2021
(ρ_;)荒木幸雄伍長さんの遺書です。
陸軍伍長 荒木幸雄
最后の便り致します
其後御元気の事と思ひます
幸雄も栄ある任務をおび
本日出発致します。
必ず大戦果を挙げます
桜咲く九段で会う日を待って居ります
どうぞ御身体を大切に
弟達及隣組の皆様にも宜敷く さようなら— opnas_maru (@opnas_maru) May 25, 2021
出撃を間近に控えているとは思えない穏やかな表情、温かな眼差し。この方々が戦って下さったから私達が今、生きている事を忘れてはならないですね🙇
— 紀mama (@mama21830317) May 26, 2021
“historical if”について色々考えると、関東軍の一参謀であった石原莞爾が推進した、満州事変が起こらなければ、彼らが特攻隊になることもなかったのでは、と思います。昭和20年の悲劇の起源は昭和6年にあり、彼らが2、3歳の頃に彼の策謀によってその運命が決まってしまったことになります。
— mura (@dembay1958) May 26, 2021
知覧で見た写真のような気がします。
その時に印象に残ったのが、戦闘機で南下する際、皆が薩摩富士こと開聞岳を日本の象徴として別れを告げ戦地に向かっていたとのこと。
先人の犠牲のうえに我ら日本人が生存するのですが、二十歳そこそこの若者が亡くなるのは辛いことです。
— 梅太郎 (@umetaro33) May 26, 2021
写真と、その説明だけで涙が溢れます。
戦争は、してはいけない。
— Oasis (@absolute35) May 26, 2021
知覧に行った時、ボランティアのおじいさんがこの写真の解説をしていました。
右上の隊員の特攻服の袖が長いのは、大人用の特攻服しかなくて、身体の小さい10代の隊員達はサイズの合わないまま着ていたんだと仰っていました。
腕を曲げてもこれだけ袖が余るほど大きいのだと。— Came☆Came☆ (@infeld9040) May 26, 2021
中学の時に知覧でこの写真を見た。
これから出撃する人だと聞いて驚いた。
死ぬのになぜこんな笑顔なのか?と
いま改めて見ると対比した子犬の悲しい表情が
切ない。彼ら僕らの礎になっているんだと思えば
恥ずかしい生き方が情けない。— 岡野司 (@sometime156) May 26, 2021
こちらの本、ぜひ皆さまにも読んで頂きたいです。
涙無くして読めませんが、今の日本の礎になられた若者達へ感謝の気持ちと哀悼を捧げる意味でもご一読ください。 pic.twitter.com/AtJ7ZoCzSZ— 廣瀬中佐 国守衆 (@96455681) May 25, 2021
●特攻をテーマにした岡田准一主演「永遠のゼロ」を無料で見る方法はこちら