SF映画ではありません。26年前の阪神淡路大震災での神戸の姿です。
1995年(平成7年)1月17日に発生した阪神淡路大震災の写真が投稿され反響を呼んでいます。
SF映画ではありません。
26年前の神戸の姿です。#阪神淡路大震災 #1月17日5時46分52秒 pic.twitter.com/ooWpSWRUfx— shinji.sakakita (@19671111Shinji) January 16, 2021
ネットの反応
自宅で震度4でしたが
地鳴り、揺れ共恐ろしかった
地震速報で、三ノ宮震度6→7に塗り変わった瞬間身震いがし
何が起こってるのか理解出来なかった
芦屋の上司は、ベットの背もたれのお陰で
タンスの直撃を免れ
灘の友達は、夜明け後自分の目線の高さに家の屋根が…と言葉を詰まらせていたのを思い出す— myponi (@maponi12729) January 16, 2021
あの時は大変でしたね。ちなみに私は西宮に住んでいたのですが、駅前はこんな感じでした。 pic.twitter.com/4okgeMVdOy
— やっさん (@furyokyoshix) January 16, 2021
新幹線の高架はポッキリ折れました。 pic.twitter.com/H9070e4Dr5
— やっさん (@furyokyoshix) January 16, 2021
この2ヶ月後に、地下鉄サリン事件があって、マスコミの報道が全部オウムになってしまった。地震の報道が少なくなった。私は1月17日と3月20日の間に最初の子供を産んだので、この頃の事は、忘れられない。
— yocchi (@ynozue) January 16, 2021
3月20日は里帰り出産から、関東の自宅に戻る日で、名古屋から東京の新幹線を予約してあった。当初、サリンとはわからず、東京の地下鉄でガス爆発があった、とNHK朝10時のニュースで。とりあえず、生後40日の赤子と迎えに来た夫と新幹線に乗った。東京に着くと、地下鉄は全部止まっていた。
— yocchi (@ynozue) January 17, 2021
東京駅のタクシー乗り場に並んで、何とか一万数千円で自宅に到着。赤子の世話を続け、疲れて眠った。ガス爆発ではなくオウムの仕業と知ったのは、翌日だった。カナリアの鳥籠を持ち、防護服来た人々がサティアン(オウムの施設)に強制捜査に入るのを見た時だった。
— yocchi (@ynozue) January 17, 2021
私の誕生日が1月13日
当時の私は3才
お母さんのお腹の中に弟がいて
お母さんにお母さんお母さん!ブーブあぶい!おっこる!って言ってたみたいで調べてみたらこのバスだった
3才の私が記憶に残るくらい衝撃だったんだね pic.twitter.com/uB1U1fVrqV— ねずこ (@Mika77s) January 16, 2021
連立政権で社会党党首が首相時
民主党時は東日本大震災
民が間違いを犯した時、神罰が下る
— Mike_gen2 (@gen2_mike) January 16, 2021
自衛隊はなかなか動けなかった。
左派政権では民が滅びることを思い知らされました。
でも、関西人は強かった。
政府を頼ってても仕方ないと、自力で立ち上がった…— にんにん (@igamononinja) January 16, 2021
— horikun (@horikun715) January 16, 2021
2枚目の三井住友銀行の倒壊前の
前日最後の客がうちのおかんだった件。我が家も、婆やの家も半壊、全壊して
ひい婆ちゃんの家も全焼したのが
26年前とか月日経つの早すぎ。避難できる場所無くて真冬の土の上で
寝たよな(今布団の中— 明石家サンタ (@santa_akashiya) January 16, 2021
忘れる事のできない光景ですね。
法整備がされておらず、情報も遮断状態でしたので、自衛隊も動けず、市役所に近い地域でも救助部隊は3日後到着、住民で救助していました。埋まってた方の手を掴んで励ましたり、潰れたマンションの隙間から壁を崩して引っ張り出したりしていましたね。— 月風狼😭2021年4月頃まで活動自粛予定 (@tukikazerou) January 16, 2021