【薬物自殺の現実】死ねなかった時に後遺症が残るのが一番辛い・・・

【薬物自殺の現実】死ねなかった時に後遺症が残るのが一番辛い・・・

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【以下、引用】
私は生きることや考えることに疲れて薬物自殺をしようと21日の16時頃にバファリンAを100錠飲みました。

2時間くらい経つと高音の耳鳴りと耳が詰まったような感覚に襲われました。

最初は「やっと死ねる」と笑顔でしたが、段々聞こえなくなることが恐ろしく不安でたまらなくなり、お母さんに事の経緯を伝えるとすぐに地元の緊急外来に連れていかれました。

19時頃、病院に着くと吐き気が酷く嘔吐してしまいました。

それと同時に過呼吸も酷く、汗をダラダラかいていました。

この時、既にほとんどの音は聞こえていません。

処置室に連れてかれてお医者さんに「胃洗浄をします」と言われて台に横になると鼻から管を入れられて胃の中の空っぽにする為にスポイトで吸い取る処置をしていました。

わたしはこの最中に痙攣を起こし、(日付が変わって22日)1時頃大きな病院へ緊急搬送されました。

搬送中の救急車でお母さんを見つめていたのを覚えています。

わたしが意識をしっかり取り戻したのは23日の昼頃です。

わたしは両手首と首と尿道に管が刺さった状態でICUにいました。

22日はうっすらと話したり返事をした記憶はありますが、ほぼ意識はなかったです。

話によると、胃力メラを飲んだり胃洗浄をしたりしたようです。

自力で動くことはほぼ出来ず、耳鳴りと詰まった感覚も未だ抜けないままでした。

ご飯はお粥など消化に良いものを食べ、点滴は4種類くらいしていました。

やれることも出来ることも思考回路もほとんど回らないので、寝ているかご飯を食べているかという感じでした。

23日になってやっと普通の会話が出来るようになりました。

ご飯もお粥からお米になりました。

相変わらず点滴の量は多かったです。

それと毎日食後に胃を保護する薬を飲むのと、4時間置きくらいに血液検査をしました。

24日になって、やっと耳鳴りと詰まった感覚もよくなってきてHCUに移動になりました。

左手首と首と尿道の管が抜け、自力では無理ですが、車椅子で移動できるようになりました。

食事もしっかり食べれるようになってきて、点滴の量も大幅に減りました。

わたしは自分がした事を後悔しています。

わたしの病名は「アスピリン中毒」です。

名前の通りバファリンAに含まれているアスピリンという成分を過剰に摂取した為に中毒症状を起こしこういったことになりました。

薬を大量に飲むと身体がどんどん死んでいくのがわかります。

五感が段々失われていきます。

わたしはそれに耐えられませんでした。

初めて死ぬのが怖いと思いました。

場合によっては手足の痺れや麻痺という症状もでたりします。

わたしの耳鳴りと詰まった感覚というのも良くなってきてはいますが、完全には治らないかもしれません。

本当に死にたいと思っている方に伝えたいです。

決して楽な死に方じゃありません。

確実に死ねるものでもありません。

死ねなかった時に迷惑をかけるのは親です。

死ねなかった時に後遺症が残るのは自分です。

わたしは、今でも、ふとしたタイミングで生きてるのが辛くなったりこれからどうしたらいいのか不安になって死にたくなります。

でも死ぬのは怖いと思うようになりました。

明日精神科の先生ともお話をして、これからどうしていくのか固めていくつもりです。

この文章を見ても、まだ薬物自殺をしたいという覚悟がある方はして下さい。

この文章を見て、思い止まれた方はすぐに身近な人間に相談してみて下さい。

死ねなかった時に後遺症が残るのが一番辛いようです。そういったことも考えたうえでどうしたいかを考えてみてください。

■ネットの反応

 

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