鎌倉幕府の源氏が3代で滅びた理由としてあげられるのが、祖先から続く内輪もめにあるというのはよく知られていますが、今回投稿された源氏の内部抗争を図解したものがわかりやすいと話題になっています!
源氏の内部抗争を改めて図にしてみました(白目)
感想: 何これ…(ドン引き) pic.twitter.com/7ss4gM1ADS
— 野井之介(摂津大納言) (@QmHSxpgqThzrxfk) 2018年9月25日
追加
[源行家 1143~1186] 源義朝の弟。頼朝の叔父にあたる。
以仁王の平氏追討令旨を全国に広め、平氏打倒に貢献した人物であるが、後に頼朝と対立した弟の義経に与したため頼朝の派閥に捕らえられ処刑された。— 野井之介(摂津大納言) (@QmHSxpgqThzrxfk) 2018年9月26日
あと、義仲は別に三回殺られてるわけじゃないです(笑)
法皇に義仲を討つよう命じられた頼朝が弟の範頼と義経に命じて義仲を討たせたので、この図では矢印が三つになってます。
源義家に始まり、源実朝に終わる源氏ですがその肉親間の内輪もめが衰退を招いたのはいうまでもないようです。
ちなみに平氏はこんな感じ pic.twitter.com/JLlfiF95VZ
— 野井之介(摂津大納言) (@QmHSxpgqThzrxfk) 2018年9月26日
■ネットの反応
まあ、多分そうですよね。
僕も間接的死因を作ってしまったのは父である頼朝だったように思います。— 野井之介(摂津大納言) (@QmHSxpgqThzrxfk) 2018年9月26日
平治の乱の時に清盛が自分を殺さなかったからこそ、今の源氏の隆盛と平氏の衰亡があるという事を頼朝は身に染みて感じていたのかもしれませんね。
だからこそ、修羅の道に源氏の未来を見出だそうとするのが頼朝の美学だったのかもしれません。やりすぎで滅びましたが。— 野井之介(摂津大納言) (@QmHSxpgqThzrxfk) 2018年9月26日
ありがとうございます🙇
清盛は敵の子である頼朝でさえ許してしまいますからね…
確かに平氏は優しすぎて滅び、源氏は荒々し過ぎて滅んだのかもしれませんね。
回答ありがとうございました🙇— 野井之介(摂津大納言) (@QmHSxpgqThzrxfk) 2018年9月26日
平将門の頃まで遡ると、源氏ほどではないにせよ殺伐とやりあっているのですが、清盛の頃はかなり穏やかですね。清盛の叔父の忠正が離反して処刑された事があるくらいですかね。
— 野井之介(摂津大納言) (@QmHSxpgqThzrxfk) 2018年9月26日